どうも。
また考えというかなんか気持ちが訳わからなくてどういう感情なんかわからん...
そんな感じになってきてあれなんですが。
なんかもう、ずっと言いたくてたまらなかった、自分が毒親育ちの話。
というかこの話、ブログを始めた初期の頃にも記事にしてたんですがね。
もうちょっとあの頃より綺麗にまとめて書けそうな気が、今の気分ならあるので...。
でもちょっと精神的に変な感じなんで、文章も多分うまくまとまってないはず。
読みづらくてごめんね~って感じ。あっそもそも誰も読まないか・・・。
....
第①章:最低な小学校時代と、望まない中学受験
自分が産まれたときから病弱だったりで入退院を繰り返したり...
(幼稚園とかも確か半分の日数もいけてなかったはず)
小学校のころもそうで、さらにいじめを受ける始末。
(顔が悪すぎたんでしょうね、醜い顔で産まれてきたから)
そのいじめが多分、母親が無理やり俺に高学歴コースにさせようとした...
最終的にそれを決断したきっかけだった...と自分は若干思ってるんですが....。
俺を中学から大学(または高校まで)エスカーレーター学校に行かせようと...
または地元の公立から離れようとして、中学受験を目標とした....
無理やり勉強させる日々が小学4年末ぐらいかな...
それぐらいから始まったんですよ。
でね、俺は小学校のとき、勉強せんでもよく点数取れてほぼ100点だった。
まぁ実際、小学校のころの学校の勉強なんか簡単だったから・・・。
それが逆に悪かったみたいで、勉強できると思い込んだ親が自分を進学塾へ...
無理やり行かせ始めたんですよね。
運が悪いことに、かなり進学塾だったのに普通に入塾テストで合格したし...
最初のほうはついていけて、模試みたいなんでもそこそこ点数を取ってしまった。
ここでさらに親が調子に乗り始めたんですが、自分は勉強が楽しくなかった。
普通に公立いければいい、そんな頑張らなくてもいい...行きたい学校なんてない...
というより、やりたいこともこの頃にはすでに失ってた。将来?しらん・・・。
(多分いじめで精神的にダメージを受けて、すでにうつ気味だったんだと思う)
そう思ってたのに、親は無理やり勉強させる。
ひどい母親の毒親として本性を表したのが、自分が5年生を超えてから。
俺は自分から勉強しようとしなかったんで、母親がいつも覚える内容とか...
そういうのを言って、自分がそれを反復するという作業をさせていたんですよ。
(例えば、母親が「○○○は、△△という。」といえば、自分も「○○○は、△△という。」というのを同じように口に出す、みたいな。)
で、それに違和感と嫌気が差した俺が、もう反抗してやらないとなったらどうなるか。
母親はキレてヒステリックになって、ブチギレて物に当たったりする。
これで、もうどうしようもなくなって勉強をせざるを得なくなったという。
(ちなみに殴り合いとかもあったが・・・・。)
自分ももう我慢の限界で、そのとき包丁を2回ほど向けたことがあるんだけど...
もう刺さないと思ってるのか、それとも息子に刺されるならいいと思ってたのか...
動じなかった母親。あのときやってればよかったんだよ。
当時小学生だったから、少年院で済んでるから。
一回これでキレすぎてわからなくなって、父親と母親の離婚手前まで行ったことも。
(結局親父が家事できないだろうと数日後に母親は戻ってきたが)
でもあのとき、俺がもうちょっと気合があって、完全にもう父親側につく...
としっかり言い切れてれば、今に続く苦しみはなかったのかもしれない。
これ、母親自身が希望通り・理想だと思っている人生を、俺に強制させてるんですよ。
要は、母親が叶えられなかった、または理想だと思っていた?人生を...
母親自身の代わりに俺にさせようとしたのではないのか?と。
俺は、ただの母親の操り人形みたいにされてたっていう話なんですよ。
ただただ、母親自身が送ることができなかった進学校での生活を...
俺を使って、代わりとしてさせていたんじゃないかなと。
ちょっと説明がへた(だいぶ下手だが)で申し訳ないが、なんとなく伝われば...。
ちなみに、その母親が行かせようとしていた学校ですが...
自分は1mmも意思決定に関与してません。選択肢もほぼなしでした。
どんな学校かの具体的な説明あまりなく。
他の学校の話は滑り止めに受験するとこ以外しなかったし。
さらにひどいのが、(母親が俺に行かせるとして)第一志望としていた学校は...
「中学に入っちゃえばあとは大学までらくらくと過ごしていける。」
「あの大学を出れば、将来お金もいっぱいもらえていい生活ができる。」
これ、大嘘ですからね。大嘘つきですよ、あの女は。
またこれの話は、第④章で詳しく進んでいくと思います。
...
第②章:過保護
小学校時代ね。
実は、自分一人で登下校した回数って片手で数えられるぐらいしかないんですよ。
理由はね、ただただ母親が不安だから。アホみたいでしょ。
そりゃ友達はできんしいじめられるし、コミュニケーションの取り方もわからん。
いじめられてから、一回転校を4年生末ぐらいに自分はしてるんだけど...
転校した先はまぁちょっと遠かったからこれは仕方ないけど....
4年生まで行ってた学校は、遠いけど一人で歩いて行って、一人で歩いて帰れた。
だけど、怖いからとずっと母親が自転車で送り迎えするということをしていた。
あと、この話には続きがあって。
小学校時代、学校終わりに、一人または友達と外で遊んだ経験が本当にないです。
これもここまで読めばわかると思いますが、過保護の極みでしたね。
もし外で遊ぶことがあれば父親が一緒にどっか自転車で一緒に行くとか。
なんというか、こう・・・ここまで来たら過保護というか虐待...。
この過保護の話も、さっきの中学受験と若干重なる部分があると思ってて...
結局、高学歴じゃないと....。いいとこで仕事しないと....。そんな過保護の精神。
子供のためになると思って、守れると思ってそんなことをしてたんだと思うんです。
まぁ母親の考えは何もかも、間違ってると思いますが。
所詮、母親が自分の思い通りにしたかった。
または、自分の思う子供に尽くすということを、勝手に本人の希望を無視してやった。
こういうことになるんしょうかね・・・。
...
第③章:親に隠された発達障害
時はちょっと遡って、小学校の...あれは...3年ぐらいなんかな。
いやもしかしたら、もうちょっとあとかも。(ちょっと時期は記憶が曖昧)
さっき病弱だったって話をしたんですが、自分は注射がめちゃくちゃ苦手で...
毎回、痛みが嫌で暴れるというか泣きわめく、大声を出すという・・・。
それを繰り返してたんですが、それをずっと見ていた病院の医者が...
発達障害の疑いがあるんじゃないのかなっていって、同じ病院内で検査したことが...
実はあったんですよ・・・。
でね、IQが高い部分は猛烈に高いと。(なんか120以上ぐらいあるやつがあった)
で、低いとこは結構低いところがあると。(空間把握能力とかだったかな)
しゃべりすぎるとか、いろいろ検査中の様子とかから...
医者が発達障害かもしれないと、そういったんですが、母親はそうですかと...
それで、細かい検査をしたりで確定診断をすることもなく。
その後、中学時代や高校時代に入ってこの話をすると...
母親はむしろ発達障害の話を隠そうとするというか、認めたがらなかった。
(今でもだが)
面白いのが、年々どんどん隠そうとしていったこと。
小学校最後ぐらいには若干まだ少しだけ認めていたのに、年を追うごとに...
そんなことなかったとか言い始める始末。だめだこりゃ。
これ、しっかり母親が認めてしっかり検査するなり確定診断するなりしてれば...
中学時代や高校時代、その先の進路にも大きい影響が...
あったんじゃないのかなと・・・そう思います。いろんな意味で...。
(高校時代ぐらいに、一回検査いってしっかり確定させておくべきだったはず。)
ちなみに自分自身は、山ほど発達障害的なエピソードや、自分の能力不足な部分。
例えばですが...
うまく仕事の指示が理解できず、覚えることや仕事をこなすことに時間がかかる。
まぁこれはごく一例ですが、他にもいろいろあって、多分そうなんだろうなぁと。
あまりにいろんな発達障害エピソードがありすぎて...ね。
....
第④章:通学時間が片道1.5時間、地獄の中学・高校時代
ここまでだいたい、小学校時代ぐらいの話。
ここからは、中学・高校時代へ進みますかね。
最初の第①章で触れた中学受験の話。
あれ、実は不運にも合格してしまって、中高(大学まで)一貫の学校に...
普通に入学することとなったんですが。
第①章の最後に書いたように、本当にその学校のことをよく知らないまま...
また他の学校のこととかのこともほぼ知らないままに...
入学することになってしまったんですよ。
で。
これがまた遠いの朝早いの満員電車だのって・・・。もうほんまに最悪。
知ってて、または自分の意思で行ってるならええやんってなるじゃないですか?
これ、別に自分で決めたわけでもなければ、なんもしらんまま勉強・受験させられて....
挙句の果てにこれですよ。バカじゃないんですかね。
もう通学がキツくて、部活なんかできるかボケっていうことで...
中学高校共に帰宅部という始末。
(それでも学校遠すぎで、部活やってるやつより家に帰る時間遅い時もあった)
これ、ずっと文句いってたんですが、その度母親はなんていってたかいうと。
母親「自分、大学時代は片道2時間半ぐらいかけていってた(3時間だっけ?)」
これ聞いて、どう思いますか?って感じですが。
自分としてはもう、ひたすらに死ね、お前の話は聞いてない。
誰もお前の経験なんか求めてない。黙れよ。
というか自分がやってたからって人にもやらせてええと思うなよ・・・。
(またはできると思うなよ)
こうでしたね・・・。
でね。
小学校時代からすでにわかってたけど、もうそろそろ我慢できないわけ。
もうこの頃にはまた、母親にこのことを定期的にいうわけ。
で、高校生ぐらいに自分がなって、ふと言ってみると、じゃあ辞めるか?って。
は?
じゃぁ辞めるかってなんやねん、辞めてどうすんねんお前中卒かよって。
どうしたって現実的じゃない、ただ嫌なら辞めろというのばかり。
本当にこう・・・・ね。どうしようもない。
ただただ楽しくもない、自称進学校みたいな課題だらけ、勉強もただ早く進む。
もう本当に最低の学生時代でした。青春もクソもないよ。
俺に残されたのは嫌な思い出と、二度と味わいたくない学生時代っていうだけ。
しかも自称進学校みたいなっていう話で、勉強もやたら難しくて...
よく補講いったりとか中学時代の前半はあった。(追いつけてねえじゃん...)
でも中学も3年ぐらいになると、どれぐらいの点数なら補講にならないかの...
ギリギリがわかってきて、補講にならないぐらいのテストの答案の書き方を覚えたし...
数問部分点とかで、解けなくても補講にならないというのを覚えた。
まぁ、なんというか・・・だから結構無理して受験するのは良くないんですがね。
こうなるじゃん、学校の勉強に追いつけないorギリギリになって苦労するっていう。
ちなみにこれは大学時代にも思い知らせる羽目になりますorz
あっそうそう、ちょっと勉強とかとは話がずれちゃうんですけど....
中学・高校(いや大学もか)って私服だったんですよ。珍しい。
で、私服なんですけど、自分で選んだというか買ったことなくて....
母親が勝手に買ってきて、選んで着せてました。
ファッションしらん俺がなんだこりゃ?ダサいつかキモいなこれ?
っていうのも、これがおしゃれとかいったりで着せられて、文句言ったらキレてたり。
所詮、見栄張りたくてブランド物の服を着せていってたんですよ。
本当にこう最低な話というか・・・・マジで子供をなんだと思ってるんだというw
俺はロゴがない、地味な服で良かったんですよ。
興味ないから地味で無難なやつならいいし。
モテるとか他人からどう見られるとかどうでもいいし。
(黒ずくめのオタクファッションの完成だなそりゃとかは言ってはいけないorz)
なんかこう、恥ずかしかった。見栄も張りたがるというか、ロクでもないorz
...
第⑤章:大学入学~卒業まで
ええ、第④章での通学時間の遠いのくだりは、まだ続くきます。
そう、大学までの通学時間はなんと片道2時間だった。
1限にある単元はなるべく取らず、必須のやつだけにしてたぐらい。
おまけに大学に内部進学で、行った学部は適当に選んだせいか偏差値がまぁまぁ高い。
内部進学組って基本、あんまり賢くないというか、高校の偏差値の割にアホというか。
まぁあれは、点数で進級したり進学できるような感じになってるからなんですが....。
それはそうとして、俺もその例外ではなく、高校時代は真ん中よりちょい下ぐらい。
それで、まぁまぁ難しい学部いったもんだからえらい目にあった。
学力的にも追いつけないし、そもそもこれは大きく発達障害のせいもあると...
思うけどレポートとか書き方で苦労する。
(なんかこう、全然いくら言われてもよく理解できないというか....)
他のやつらは出来ても、俺はなんか全然勉強も、実験とか書き方も理解できない。
そんなわけで、すごい苦労する日々だった。
今でも大学時代を思い出すと、特に1~2年には戻りたくないと強く感じますね...。
(いや3と4年にも戻りたくないがw)
本当に、こう...自分のレベルに合わない学校だった。
遠いし、難しいし。マジで卒業できたんが奇跡だったぐらい・・・。
何度も辞めたいと思ったし、辞めたいと言ったけど...
母親はじゃあ辞めろやぐらいしか言わないか、ヒステリックになってキレるか。
それは解決になってないんやって・・・。
もうすでに学校選びから間違ってて、人生スタート地点から間違ってるって。
大学やめたら、じゃぁ高卒になるけどどうするんだってなるじゃないですか。
でも、俺はその時点でやめられないってわかってた。
やめてどうすんの?って自分でもなってた。夢もやりたい仕事もなかったし。
卒業するしかないって。
結局母親に退路を塞がれて、どうしようもなくされて、選択肢も大昔に奪われて。
どうしようもなかったって。もう絶望でしかなかったですよ。
そんなことで、ほぼ就職活動もせず(卒論かいて卒業するのに必死になってたので)
なんとかかろうじて大学は留年もせずに卒業したっていう。
大学の間だけ一人暮らしすればよかったじゃんって思うかもですが...
当時、遊べるギリギリの金額のバイトしかしてなくて・・・。
車維持と、すこし改造できるギリギリぐらいね。
一人暮らしだと車が乗れなくて・・・ていう理由でどうしようもなかった。
結局、大学卒業してから完全に車やめちゃったんだけど...
あのとき、車諦めてでも一人になるべきだったと強く感じる。
まぁあと、大学入ったぐらいで、クローソ病で入院してるんで...
それで体調が大学前半ぐらいあんまりよくなかったのもあるんですが。
もう体にも親にも何にも恵まれてないですよね。まぁその体作ったのも親のせi....(ry
...
第⑥章:過保護の話、Part2 (小学校以後~現在)
ちょっと時系列が前後してややこしくなっちゃってあれですが....
また過保護の話ね。
中学2年ぐらいに、親父がクロスバイクを買ってきてからすこし変化して....
自転車に乗ってるときだけは、一人で外出できるようになった。
この時点でようやく、ですよ?遅くね?wっていう。
自転車はずっと今でも乗ったり弄ったりして遊んでるんですが...
これ、未だにそうなんですが...
帰りの家にある程度近いぐらい(残り15kmぐらいかな)になったら....
家に電話しないと文句言われる、飯の準備がとか。
違うんですよ、母親が昔言ってたことを俺は覚えてる。ただ不安で心配だから。
いや待ってくれ。俺もう20...いやそれどこか20代も折り返しなんですよ。
もう24なんですよ・・・・。中学生のときからずっとこう。
ついこの前なんかも...
(たしかこのときだったはず?)
久々に電話するのめんどくさくてなんもしていかないで帰ると...
家帰ったら、母親が死んだかと思ってただって。
うるせぇんだよ俺はずっと死んだほうがいいと思ってるわボケが....。
もうなんかどうしようもない母親ですよ。
てかね。
車乗ってた時代、すなわち自分が大学生時代のころなんですけど。
数日に渡る旅行とかしたい、オフ会とか行きたいってなるじゃないですか。
母親が、じゃあ親父と行けばと、親父を旅行ついでに同伴させるんですよ。
自分の車の助手席に乗せてくるってわけ。
長い期間の一人の旅行が不安で仕方ないんですよ、あのキチガイ過保護母親は。
親父も親父で、自分の旅行ついでだとかいってついてくる。
違うんですよ。母親より15ぐらい年上だし...
どうせ別れたくないとか夫婦喧嘩したくないとかで、ビビって言う事聞いてる。
だから親父も悪い。どうしようもないバカ2人てわけ。
これほんとキチガイエピソードすぎてあれなんですが、恐ろしいのが...
自分が20超えてからもこれで、18歳の段階ですらこれは異常でしょうと・・・。
...
第⑦章:就職
就職。
そう、大学卒業から1年半後にようやく決まった話。
でもこれ、裏があって、親の言いなりですよ。半分はコネだし。
結局進路すら、自分がいろいろありすぎて将来を考えられず無気力になってて....
それをいいことに、両親が理想または現実的に安定してるとする仕事をえらんで...
しかも母親の父親(俺からみれば母方のおじいちゃんと呼ぶことになるんかな?)が...
まぁまぁコネあることを利用した、ありえないぐらい汚い戦術なんですよ。
いやね、俺が能力低すぎるわ、コミュ力ないわ、発達障害だわ...
挙句の果てには体も難病だわで、ボロボロ要素多すぎるのはある。
まともに就職できないし、そもそもまともに働こうともあまり思わなかった。
でも、もう...なんというか....仕事までこうやって決められちゃうと。
もう笑っちゃうしかないというか、いや確かに、”職業”として見れば...
定年まで仕事するにはかなりいいっていうのはわかってる。
わかってるんだけど、どうしてもクソ親に決められた...
また操られた、また希望通りにされた、また自分の身代わりにされた...
そう思うと、ものすごい腹が立って。
でも内定辞退なんてできるわけもないし、自分でももったいないと思うぐらい。
だからものすごい苦しい。
なんで言いなりなの。なんで言いなりで、こうなるの。
これじゃ最後まで母親が、自分はやっぱり正しかったって思うわけ。
本当にムカつく。
あいつのいう、普通とか、世間一般とか、そういうのが俺大嫌いで。
ずっと逆らってきたつもりだし、それでいつも口論になるし。
でもこうやると最終的にあのアホクソ毒親の思うツボになったみたいで。
もう本当に、今からどうしようもなければ逃げようもないというか。
なんでこうなっちゃったんだろう...
自分が本当にどうしようもないぐらい猿以下の無能で大学も卒業できず...
それどころか中学受験も失敗してたら、俺もだめだこりゃってなって...
失うものもないからと本当に家を出て、親を振り切って生きていたのかもしれない。
今まで、中途半端に、ここやめると厳しいことになるとかわかってしまうぐらい...
それぐらい微妙に”失う”っていうのがあった。
結局、それはもう就職しても変わらないんだよなぁ・・・ってここでなってしまった。
あっでも仕事に関しては、自分のコミュ力と発達障害の問題で....
本当に頑張っても試用期間でクビになる可能性はなくはない(仕事柄可能性は低いけど
...
最終章:まとめ
はっきり言おう。今でも死にたいとずっと思う。(小学生のときから思ってるが)
もう進路もなにもかも変えられない、どうしようもないという絶望とか....
ずっとそういうのがあって、学生時代、何回電車に飛び込もうと思ったか。
チキンだからか決心できず、最後の1歩が踏み出せなかったんだよな・・・。
大学時代、本当にやろうと思った日があったのに決めきれなかった。後悔。
発達障害、精神的な疾患(診断してないが何かしらはある)、挙句の果てに...
クローソ病とかいう身体的な難病、そして醜い顔・・・。
こんなひどい状態で産んでおいて、さらにこの仕打ちなんだよなぁ・・・。
もうなんか、考えれば考えるほど生きるのをやめたくなる。なんで産まれたん、俺?
こんなんで、ずっと親がいろいろやってきたせいで、俺は何も知らないし...
なんの手続きとかもできず、社会的なことは本当になにもできなくなってしまった。
(母親が入院してる数ヶ月の間、家事はしてたんで家事は出来るけどね。)
俺もこう、意思を持って自分でやれよといいたいけど、全然わかんなかったりで。
もう・・・・本当に・・・・。こんなんだから過保護加速したんかなとか。
そういや昔の話なんだけど...
自分が頭に来すぎて高校時代?いや中学だったかな。大学だったかな(おい...)
母親に向かって、「今までのこの報復として、死んでやる」って言ったことあって。
そのとき、母親がなんて言ったか。今でも覚えてる。
お前(=俺)が死んだら、自分は生きてる意味ないから後から死ぬ。
もう、本当に・・・過保護・過干渉の極みというか、所詮俺を操り人形...
いやむしろ母親自身の代わりとしか思ってないんだなと・・・。
なんかこう、毒母親に後追い自殺されると思うと、これもやたらと腹立つ。
一緒の場所に来るなよと。お前はこの世で自分の罪と向き合って最後まで苦しめと。
俺だけが苦しみのない楽な世界へ行きたいんだ、お前はついてくるなよ...とね。
こういうのを最近思い出して、最近決めた報復・仕返しがあって。
絶対に母親の死に際と、葬式には出てやらない。(介護にも自身は参加しない。)
自分の罪に気がつけ、そして、俺がいつまでも思い通りになると思ったら大間違いだ。
そういうことに死ぬ前の最後の最後になって気がついて、絶望の底へ落ちてほしい。
そう、最近はこころの底から思ってる。
だから死にたい気持ちと、母親が死ぬ手前で自らの罪に気がついて絶望させたい...
だから生きるしかない、報復のために・・・・の2つで揺らいでる面もある。
まぁ生きててもあんまりいいことなくて、つらいだけなんですがね。
だいたいなんで必死で仕事して働いてまで生きていかなあかんねん。
そんな苦しい思いをするなら死んだほうがええねんって。
...
まぁなんかここまで書いたら怒りと苦しみと鬱の気分で書き始めたものだからか....
思いつかなくなってきた。なんかもっとこう書きたいことあったはずだけど・・・。
忘れちゃったというか、何をどう書いたかどうか・・・。
ああ精神的にちょっと混乱してるんでまたなんかわけわからないかもしれない。
あとどうでもいいけど...
実家、やっぱり出ないといけないかもしれないな・・・。
お金貯めて、もし体の調子悪くなって早めに退職することになっても...
それまでにお金を実家ぐらしで多く貯めておけば苦労せず最低限で暮らしていける....
そのためにお金貯めるために実家ぐらしを続けるかと考えてたけど...
もう最近、親といるだけでいろいろ思い出してしんどいのも事実。
こいつらに人生操られてきたんだと思うと、我慢できなくなってきてる。
いろいろ手続きとかおぼえて、自分で全部出来るようになるようにしないと。
クソ親から逃れたい、お金の面だけどうにかなれば・・・。
だけど...この体じゃいつ仕事できんくなるかわからん....今は大丈夫だけど...
不安がつきまとうんだよなぁ。もうどうすればええんやろうか、この世から出るか?
それにクソ親のせいで家をでて、貯蓄が出来ず未来で困るってなると...
それはそれですげえ腹立つんだよなぁ・・・。詰んでるわ普通に...
というか自分で発達障害の検査いきたいけど、どうすればいいかわからない。
保険証とかいるのかなとか、どうすればいいのかわからない・・・。
ああなんていう・・・。もうどうしようもないよ・・・。
何も自分じゃできなくされた。まるで共依存させるかのように...。
...
まぁいいや・・・。もう・・・大半のいいたいことはいったよ....。
また気持ちが我慢できなくなったらどっかで愚痴ります。
以上。